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史跡散策会パート2

2019年10月01日

24日に上曽根地区で行われた歴史探索に参加しました。

今回は、上曽根地区にある勝山城・中道往還を中心に巡りました。

勝山城は武田一族の油川信恵(のぶよし)の居城で武田信虎が家督を相続した際、対立。                           この戦いで信恵は勝山にて敗北、勝山城は信虎へ、その後、勝山城は駿河(現・静岡)と甲府盆地を結ぶ中道往還に位置していたことから、今川氏の甲斐侵攻のためにしばしば、占拠されました。               

武田氏滅亡後は、徳川家康と北条氏直の甲斐・信濃をめぐる戦い(天正壬午の乱)にて、家康側の拠点となり、服部半蔵に城の修築を命じています。

中道往還は、駿河と甲斐を結ぶ旧道で、近くには、奈良時代からの大きな寺院跡や、それ以前に存在している銚子塚古墳などの大型の古墳が存在していることから、大きな権力を持った人物が存在し要所としていたことがわかります。

参加人数は13人で、日ごろからウォーキングしている方が多いのか、皆さん足が速くて、坂道ではしばしば遅れてしまいました。(;^ω^)

歩いてみると、道のいたるところにお地蔵さんが立っていて、かつて道中の無事を多くの人が祈っていたことがわかりました。(´ω`*)

最初に訪ねた龍華院は、とても大きな寺院で、前身は境川にあった大祥寺という寺院で、その場所は現在はごみ処理場になっていますが、そこにはさらに昔、奈良時代にも仏教関係の建物があったことがわかる発掘があったそうです。

さらに中道往還を進んで行くと、一里塚の跡地に榎がご神木としてまつられていました。

さらに行くと、妙石庵。こちらは、かつて日蓮上人が説法に使った大石を奉ってあります。鎌倉時代罪人として、流刑されていた日蓮上人を招くことが許された、かなりの権力者がいたとおもわれます。

さらに歩いていくと少し登る道に入ります、これは昔この辺が湿地帯であったため街道を上に通したためだそうです。

しばらく歩いて、ようやく勝山城に到着。勝山城は小高い山にあった山城でかつては天守台もあったとゆう記録もあったそうです。現在は山の周辺にスモモが植えてあり、かつての堀へ向かう道は草で覆われていて、とにかくやぶ蚊がすごくて、みんなで刺されまくってました。:;(∩´﹏`∩);:

山の頂上に着くとそこからは、甲府盆地が広がっていました。

昔は、甲府盆地だけでなく、南アルプス・石和・甲州のほうまで見渡すことができ、さらに周囲は沼地で他から攻めにくい地形であったためまさに 

「沼田めぐり 攻めるに難き 勝山城」

今回、散策した上曽根ですが、私が車でいつも通ている場所で、歩いてみるとこんなにもいろんな歴史がつまっているとわかって今回も、ホントに楽しかったです(*´▽`*)